オヤケ赤蜂と長田大主(共通語)

概要

この島は長田大主(なーたふーじ)が治めていたわけだね。それで、赤蜂は波照間島の出身で、浜に流れてきた子供が拾われて成長してきたと言う噂を小さいときに聞いたことがあるさ。赤蜂は、年々イリキアマリの祭りってのを盛大にやっていたわけ。それを首里が聞いて、「農民百姓が米作りをしないでこんなに遊ぶことはできない。」って禁止したって。禁止したもんだから、今度は赤蜂は、「これでは上納を納めない。」と三年間上納を納めないでおると、長田大主は、自分の娘にね、真乙姥と姑乙姥という姉妹がいたんだな。長田大主は赤蜂があまり横暴するもんだから、姑乙姥は赤蜂にくれて仲直りしようと思って、妹の姑乙姥にね、「お前はスパイをやって来い。」と言って夫婦にしたら、娘の姑乙姥は赤蜂と一緒に行動したので、赤蜂がどんなことするかわからんから、仕方がないと言って長田大主は逃げたわけ。逃げて崎枝(さきえだ)と言うところ行くと、赤蜂がそこまでやって来たので、長田大主は、そこの近くの家に行って、お祖母さんに、「自分を隠してくれ。」と頼んだら、「何も隠れるところはないよ。」と言ったが、「いや、逃げるところはないから何とか隠してくれ。」言うたらね、このお祖母さんの考えでね、竈(かまど)下に穴を掘ってね、そこに長田大主に押し入れて、その上に石を三個置いて竈にして、そこに鍋を乗せて、芋を煮ておったと。そこへ赤蜂がやって来てね、「ここに確かに来たはずだ。」と。「いいえ、来ません。」て言うたら赤蜂は自分で占いをして、「水の下に金、その下が土。長田大主は土の穴の中に入って死んだ。」と占って帰って行ったそうだ。確かにね、鍋の中に水があるでしょ。それからその下は金があるでしょ。土があるでしょ。だから、赤蜂は、「長田大主は穴のなかに入って死んだ。」と占いをしたんだね。長田大主は、そこで助かったから、それから御神崎(うがんざき)と言うところの回って行くと屋良部(やらぶ)に口はこれぐらいしかないけど、下は大きな広場の洞窟になっている長田洞窟(なーたがま)という洞窟(が
ま)がある。長田大主はその長田洞窟(なーたがま)というところに隠れて、そこで芭蕉の船を造ってそれで西表(いりおもて)から古見(こ み)に渡るわけ。それで西表の古見から今度は那覇に首里に王府に連れていってもらって、向こうに行くと、「こうこうこうと言うことで。」と訴えたから、それで首里王府は宮古の豊見親を道案内して来たのさ。だから、この首里王府から征討軍を組織して連れてきたのはこの長田大主さ。そのとき沖縄首里王府から赤蜂を討伐する軍が何百隻かわからんがたくさん兵隊がやって来たわけよ。赤蜂はね、そういう軍隊が寄せてきた観音堂の前の浜にね、方言でチューチュモと言う口の小さい水を溜める水甕よ、これをたくさん集めてきて、それに蓑笠かぶせてね、縄で引っ張ってこう動かして人間に見えるようにしたから、海上におる軍艦がね、こんなにたくさん兵隊がおるのかと驚くだろうと言う計略なんだけれども、さすがに首里の征討軍は、宮古の豊見親(とぅいみやー)も一緒に連れてきて、案内をさせてどこから上陸したかはわらないが、この島に渡って戦いをしたから、赤蜂軍は全部追いまくられたから、赤蜂は於茂登山の東の底原(すくばる)って言う名前がありまね、そこの深い田んぼに隠れて、蓮の葉かな、こうして吹いて息をしておったところを征討軍がきて、「ここに確かに人間がおる。」というわけで、槍で突いて赤い血が出てきたから、そこで赤蜂が捕まって殺された。それで殺して赤蜂の首を抱いて慌てて首里に来たところが、首里王府は、「夜になれば生け捕りにして連れてこればいいのに、何で殺したか。」と征夷大将軍が罰せられたと言う話もあるわけよな。

再生時間:9:22

民話詳細DATA

レコード番号 47O340951
CD番号 47O34C072
決定題名 オヤケ赤蜂と長田大主(共通語)
話者がつけた題名
話者名 石垣稔
話者名かな いしがきみのる
生年月日 19090105
性別
出身地 沖縄県石垣市字石垣
記録日 19970913
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市石垣 T27 A09
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 長田大主,赤蜂,波照間島,イリキアマリの祭り,首里,農民,禁止,三年間,上納,娘,真乙姥,姑乙姥と,姉妹,仲直り,スパイ,逃げ,崎枝,竈,穴,鍋,占い,御神崎,屋良部,長田洞窟,芭蕉の船,西表,古見,王府,宮古,豊見親,征討軍,観音堂,チューチュモ,水甕,蓑笠,計略,於茂登山,底原,田んぼ,殺された
梗概(こうがい) この島は長田大主(なーたふーじ)が治めていたわけだね。それで、赤蜂は波照間島の出身で、浜に流れてきた子供が拾われて成長してきたと言う噂を小さいときに聞いたことがあるさ。赤蜂は、年々イリキアマリの祭りってのを盛大にやっていたわけ。それを首里が聞いて、「農民百姓が米作りをしないでこんなに遊ぶことはできない。」って禁止したって。禁止したもんだから、今度は赤蜂は、「これでは上納を納めない。」と三年間上納を納めないでおると、長田大主は、自分の娘にね、真乙姥と姑乙姥という姉妹がいたんだな。長田大主は赤蜂があまり横暴するもんだから、姑乙姥は赤蜂にくれて仲直りしようと思って、妹の姑乙姥にね、「お前はスパイをやって来い。」と言って夫婦にしたら、娘の姑乙姥は赤蜂と一緒に行動したので、赤蜂がどんなことするかわからんから、仕方がないと言って長田大主は逃げたわけ。逃げて崎枝(さきえだ)と言うところ行くと、赤蜂がそこまでやって来たので、長田大主は、そこの近くの家に行って、お祖母さんに、「自分を隠してくれ。」と頼んだら、「何も隠れるところはないよ。」と言ったが、「いや、逃げるところはないから何とか隠してくれ。」言うたらね、このお祖母さんの考えでね、竈(かまど)下に穴を掘ってね、そこに長田大主に押し入れて、その上に石を三個置いて竈にして、そこに鍋を乗せて、芋を煮ておったと。そこへ赤蜂がやって来てね、「ここに確かに来たはずだ。」と。「いいえ、来ません。」て言うたら赤蜂は自分で占いをして、「水の下に金、その下が土。長田大主は土の穴の中に入って死んだ。」と占って帰って行ったそうだ。確かにね、鍋の中に水があるでしょ。それからその下は金があるでしょ。土があるでしょ。だから、赤蜂は、「長田大主は穴のなかに入って死んだ。」と占いをしたんだね。長田大主は、そこで助かったから、それから御神崎(うがんざき)と言うところの回って行くと屋良部(やらぶ)に口はこれぐらいしかないけど、下は大きな広場の洞窟になっている長田洞窟(なーたがま)という洞窟(が ま)がある。長田大主はその長田洞窟(なーたがま)というところに隠れて、そこで芭蕉の船を造ってそれで西表(いりおもて)から古見(こ み)に渡るわけ。それで西表の古見から今度は那覇に首里に王府に連れていってもらって、向こうに行くと、「こうこうこうと言うことで。」と訴えたから、それで首里王府は宮古の豊見親を道案内して来たのさ。だから、この首里王府から征討軍を組織して連れてきたのはこの長田大主さ。そのとき沖縄首里王府から赤蜂を討伐する軍が何百隻かわからんがたくさん兵隊がやって来たわけよ。赤蜂はね、そういう軍隊が寄せてきた観音堂の前の浜にね、方言でチューチュモと言う口の小さい水を溜める水甕よ、これをたくさん集めてきて、それに蓑笠かぶせてね、縄で引っ張ってこう動かして人間に見えるようにしたから、海上におる軍艦がね、こんなにたくさん兵隊がおるのかと驚くだろうと言う計略なんだけれども、さすがに首里の征討軍は、宮古の豊見親(とぅいみやー)も一緒に連れてきて、案内をさせてどこから上陸したかはわらないが、この島に渡って戦いをしたから、赤蜂軍は全部追いまくられたから、赤蜂は於茂登山の東の底原(すくばる)って言う名前がありまね、そこの深い田んぼに隠れて、蓮の葉かな、こうして吹いて息をしておったところを征討軍がきて、「ここに確かに人間がおる。」というわけで、槍で突いて赤い血が出てきたから、そこで赤蜂が捕まって殺された。それで殺して赤蜂の首を抱いて慌てて首里に来たところが、首里王府は、「夜になれば生け捕りにして連れてこればいいのに、何で殺したか。」と征夷大将軍が罰せられたと言う話もあるわけよな。
全体の記録時間数 10:22
物語の時間数 9:22
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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