玉代勢家の先祖(共通語)

概要

あれは首里の玉代勢(たまよ せ)という船頭が馬艦船(まーらんせん)で石垣に来られて、船が停泊したときにおられたときに、私の先祖の家に宿を借りて、非常にこのなついていたのでね、それで家に帰るときにこの船頭はね、とうとう帰るときに大変気に入って、別れに、「今度、私は船頭代わりますから私は来ませんよ。じゃあ私の名前をね、玉代勢と言うもんだから情けとして譲りましょう。」と言うことで、自分の家の名前になったんですよ。それからあとは玉代勢は続いてるんですよ。うちの家族にこの人が玉代勢(たまよ せ)の名前を譲ったが、この人との間の子供がいないもんだから、子供がいなければ家庭は続かないわけよね。石垣のお寺の豊年寺の後ろに、石垣市前村にある屋号の役人の家があるんですよ。向こうの六男の生まれの人を養子にして、「代」と言う字のついた「玉代勢」の先祖になったんです。これを錦芳氏(きんぽうし)と言うんですよ。それでこの錦芳氏も女ばかり生まれて男性が生まれなかったんですよ。それで仕方ないから、一番長女の人にお寺の家から、宮良尊(そん)と言う名前のついた人が養子に来られたもんだから、それが海公氏(ばいこううじ)と言うんです、またその夫婦の子供は男は生まれないで女ばかりなんだね。今度は石垣の字石垣からね、「タコーヤー」と言う屋号のついた家の次男の石垣長喜(いしがきちょうき)と言う人が養子に来られて三代養子が続いているわけね。それで、初めて私の兄と私の二人の男が続いてようやく屋号(ざーもー)がずっと続いているんです。その「氏」と言うのは、もともとは錦芳氏、海公氏、山陽氏それが現在の私達の祖先で、これからずっと続いておるんだけれども、名字が宮良家、石垣、崎山と言う人はね、その子孫の家です。初めて八重山の三味線、歌を三味線で出したのもこの人なんです。それまでは、口から口の伝えのユンタ、ンジラバの歌謡とユングトウしかなかった。この人が初めて中国からの貿易できた中国の三味線を那覇で弾いておられるのを見てこれを弾いてね、それで八重山の歌を三味線にのせて、歌ったのもこの錦芳氏の崎山ヨウカクと言う人です。八重山の三線(さんしん)伴っての歌の始まりはこの人です。

再生時間:7:36

民話詳細DATA

レコード番号 47O340944
CD番号 47O34C072
決定題名 玉代勢家の先祖(共通語)
話者がつけた題名
話者名 玉代勢長伝
話者名かな たまよせちょうでん
生年月日 19171028
性別
出身地 沖縄県石垣市字石垣
記録日 19970913
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市石垣 T27 A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 首里,玉代勢,船頭,馬艦船,石垣,先祖,家,譲った,子供,豊年寺,屋号,役人,錦芳氏,宮良尊,海公氏,タコーヤー,石垣長喜,養子,ざーもー,崎山,三味線,歌,ユンタ,ジラバ,ユングトウ,中国,貿易,崎山ヨウカク
梗概(こうがい) あれは首里の玉代勢(たまよ せ)という船頭が馬艦船(まーらんせん)で石垣に来られて、船が停泊したときにおられたときに、私の先祖の家に宿を借りて、非常にこのなついていたのでね、それで家に帰るときにこの船頭はね、とうとう帰るときに大変気に入って、別れに、「今度、私は船頭代わりますから私は来ませんよ。じゃあ私の名前をね、玉代勢と言うもんだから情けとして譲りましょう。」と言うことで、自分の家の名前になったんですよ。それからあとは玉代勢は続いてるんですよ。うちの家族にこの人が玉代勢(たまよ せ)の名前を譲ったが、この人との間の子供がいないもんだから、子供がいなければ家庭は続かないわけよね。石垣のお寺の豊年寺の後ろに、石垣市前村にある屋号の役人の家があるんですよ。向こうの六男の生まれの人を養子にして、「代」と言う字のついた「玉代勢」の先祖になったんです。これを錦芳氏(きんぽうし)と言うんですよ。それでこの錦芳氏も女ばかり生まれて男性が生まれなかったんですよ。それで仕方ないから、一番長女の人にお寺の家から、宮良尊(そん)と言う名前のついた人が養子に来られたもんだから、それが海公氏(ばいこううじ)と言うんです、またその夫婦の子供は男は生まれないで女ばかりなんだね。今度は石垣の字石垣からね、「タコーヤー」と言う屋号のついた家の次男の石垣長喜(いしがきちょうき)と言う人が養子に来られて三代養子が続いているわけね。それで、初めて私の兄と私の二人の男が続いてようやく屋号(ざーもー)がずっと続いているんです。その「氏」と言うのは、もともとは錦芳氏、海公氏、山陽氏それが現在の私達の祖先で、これからずっと続いておるんだけれども、名字が宮良家、石垣、崎山と言う人はね、その子孫の家です。初めて八重山の三味線、歌を三味線で出したのもこの人なんです。それまでは、口から口の伝えのユンタ、ンジラバの歌謡とユングトウしかなかった。この人が初めて中国からの貿易できた中国の三味線を那覇で弾いておられるのを見てこれを弾いてね、それで八重山の歌を三味線にのせて、歌ったのもこの錦芳氏の崎山ヨウカクと言う人です。八重山の三線(さんしん)伴っての歌の始まりはこの人です。
全体の記録時間数 8:09
物語の時間数 7:36
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP