宮鳥御嶽由来(共通語)

概要

現在は石城山(いしすくやま)のあたりは国場組が買い取って、みんなコンクリートの砕石にしてしまったから、今は大きな穴になって何もなくなっているが、石城山からこの宮鳥の西の道から東の道からずっと行った全部が山の森になっていて全部宮鳥御嶽の御願だったんですよ。昔ね、この石垣島のバンナ岳の南側の石城山(いしすくやま)と言う山にナタネマサシという女とナアタハツ、ピサガカーラと言う男の三名兄弟が住んでいて、そこからここの宮鳥山を眺めていると、火玉のような明かりの塊まりがこんなやって来ては出たり消えたりするもんだから、珍しく思ってね、「これはなんだ。」と、その三名の姉弟が向こうからここへやって来て拝んだところ、明かりの塊まりがここの山に降り立って、神様が現れてきて託宣していわく、「自分がこの山の鎮守の神だ。今のここに住まっている住民は決まった家も何もなく、怠けて動物のような道徳も何もない生活して、互いに喧嘩して牛を殺すように人間を殺す殺し合いをしている。勝手に殺したり、命を絶たれたりして生きてきたのは人間の道ではない。人間は神の子でみんな兄弟である。今の世の中は殺戮の世の中になってるが、これは住民もまだ神も信じていないからだ。私は長らくこの地に止まっているから、私を信じて兄弟仲良く一生懸命作物を作りなさい。」と教えたわけ。それで、その三名の兄弟は、「はい、かしこまりました。」と言って、そこに家を作っておって、宮鳥御嶽の神様を石城山から移して拝み、その神を信じて一生懸命に農作をやったわけ。この三名の姉弟がそこに踏み止まって百姓をしたらね、この三名の兄弟の作る物は、麦にしてもお米にしてもみんな実りに実って豊年になって穀物がたくさん取れたんですけど、ほかの家はみんな不出来で、作物が出来ないわけだ。それを周囲の人が見て、「不思議だな。」と思って、「どうしてもあんた方のところはこんなに作物が芋も大きくなるし、米もこんなに実っているか。」と聞きに来たから、兄弟は、「実はこうこうで神様が下りて来て、神を信じて百姓しなさいと言われたよ。我々は宮鳥御嶽の神様を信じて、その神の恩恵でこうしてやっているんだよ。」と言うと、今度は、あちこちからこの話を伝えて聞いて、「そしたら私も一緒にしてくれんか。」「じゃあ、私も一緒にしてくれんか。」とこの界隈に集まって来たから、これが八重山石垣島の石垣と言う村になった。それから、次第次第に人間が集まって来て人間が増えて部落が大きくなったので、「これでは人間が多過ぎて政治ができない。じゃあ分村しよう。」と登野城を分村さした。それで石垣と登野城字は今も兄弟村と言って、今日でも豊年祭のときには旗頭を持って迎えたり、見送ったりする習慣になっておるわけなんですね。そしたら登野城もまたどんどん人間が多くなったから、道切りで大川部落が分村した。石垣の方も人間が多くなって、道切りで新川部落が分村した。首里に三箇(さんか)って呼ぶように、この登野城、大川、石垣、新川の四箇字(よんかあざ)を四箇(し か)っていうわけさ。これが今市内の基本的な字なんですよ。この四箇(し か)は、宮鳥御嶽から始まったから、鶏も一番鳥は必ずこの宮鳥御嶽の周囲から鳴いて、それから次第次第に二番鳥、三番鳥て言うてずっと両方に東へ西へ伝わっていくわけさ。そういうことで、ここの島の者は、ここの石垣が神の御告げを受けた聖なる場所で、歌にもあるように八重山、石垣島の心と言うふうに歌われておるぐらい部落発祥の地と言うふうになるわけだから誇りに思うのですよ。

再生時間:7:19

民話詳細DATA

レコード番号 47O341058
CD番号 47O34C081
決定題名 宮鳥御嶽由来(共通語)
話者がつけた題名
話者名 石垣稔
話者名かな いしがきみのる
生年月日 19090105
性別
出身地 沖縄県石垣市字石垣
記録日 19980907
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市石垣 T36 A01
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 石城山,宮鳥御嶽,御願,石垣島,バンナ岳,ナタネマサシと,女,ナアタハツ,ピサガカーラ,三名兄弟,火玉,明かり,拝んだ,神様,託宣,鎮守,神,人間の道,神の子,百姓,豊年,不思議,恩恵,部落,登野城,分村,兄弟村,旗頭,道切り,大川部落,新川部落,四箇字,一番鳥,御告げを,歌
梗概(こうがい) 現在は石城山(いしすくやま)のあたりは国場組が買い取って、みんなコンクリートの砕石にしてしまったから、今は大きな穴になって何もなくなっているが、石城山からこの宮鳥の西の道から東の道からずっと行った全部が山の森になっていて全部宮鳥御嶽の御願だったんですよ。昔ね、この石垣島のバンナ岳の南側の石城山(いしすくやま)と言う山にナタネマサシという女とナアタハツ、ピサガカーラと言う男の三名兄弟が住んでいて、そこからここの宮鳥山を眺めていると、火玉のような明かりの塊まりがこんなやって来ては出たり消えたりするもんだから、珍しく思ってね、「これはなんだ。」と、その三名の姉弟が向こうからここへやって来て拝んだところ、明かりの塊まりがここの山に降り立って、神様が現れてきて託宣していわく、「自分がこの山の鎮守の神だ。今のここに住まっている住民は決まった家も何もなく、怠けて動物のような道徳も何もない生活して、互いに喧嘩して牛を殺すように人間を殺す殺し合いをしている。勝手に殺したり、命を絶たれたりして生きてきたのは人間の道ではない。人間は神の子でみんな兄弟である。今の世の中は殺戮の世の中になってるが、これは住民もまだ神も信じていないからだ。私は長らくこの地に止まっているから、私を信じて兄弟仲良く一生懸命作物を作りなさい。」と教えたわけ。それで、その三名の兄弟は、「はい、かしこまりました。」と言って、そこに家を作っておって、宮鳥御嶽の神様を石城山から移して拝み、その神を信じて一生懸命に農作をやったわけ。この三名の姉弟がそこに踏み止まって百姓をしたらね、この三名の兄弟の作る物は、麦にしてもお米にしてもみんな実りに実って豊年になって穀物がたくさん取れたんですけど、ほかの家はみんな不出来で、作物が出来ないわけだ。それを周囲の人が見て、「不思議だな。」と思って、「どうしてもあんた方のところはこんなに作物が芋も大きくなるし、米もこんなに実っているか。」と聞きに来たから、兄弟は、「実はこうこうで神様が下りて来て、神を信じて百姓しなさいと言われたよ。我々は宮鳥御嶽の神様を信じて、その神の恩恵でこうしてやっているんだよ。」と言うと、今度は、あちこちからこの話を伝えて聞いて、「そしたら私も一緒にしてくれんか。」「じゃあ、私も一緒にしてくれんか。」とこの界隈に集まって来たから、これが八重山石垣島の石垣と言う村になった。それから、次第次第に人間が集まって来て人間が増えて部落が大きくなったので、「これでは人間が多過ぎて政治ができない。じゃあ分村しよう。」と登野城を分村さした。それで石垣と登野城字は今も兄弟村と言って、今日でも豊年祭のときには旗頭を持って迎えたり、見送ったりする習慣になっておるわけなんですね。そしたら登野城もまたどんどん人間が多くなったから、道切りで大川部落が分村した。石垣の方も人間が多くなって、道切りで新川部落が分村した。首里に三箇(さんか)って呼ぶように、この登野城、大川、石垣、新川の四箇字(よんかあざ)を四箇(し か)っていうわけさ。これが今市内の基本的な字なんですよ。この四箇(し か)は、宮鳥御嶽から始まったから、鶏も一番鳥は必ずこの宮鳥御嶽の周囲から鳴いて、それから次第次第に二番鳥、三番鳥て言うてずっと両方に東へ西へ伝わっていくわけさ。そういうことで、ここの島の者は、ここの石垣が神の御告げを受けた聖なる場所で、歌にもあるように八重山、石垣島の心と言うふうに歌われておるぐらい部落発祥の地と言うふうになるわけだから誇りに思うのですよ。
全体の記録時間数 8:00
物語の時間数 7:19
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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