オヤケ赤蜂(共通語)

概要

オヤケ赤蜂は大力で人が寄りつけないぐらいの体力で農民の庶民派さあね。あの当時は首里王府の直系の八重山の当主は長田大王(なーたたいおう)の長田大主(なーたふーじ)と言ってる。この人は首里の王の味方さあね。これに赤蜂は反乱を起こしたので首里王府は、「このオヤケ赤蜂を征伐しなければいかない。」と言うことで、西表の慶来慶田城という王は、「田大主に協力してあのオヤケ赤蜂を討つように協力しよう。」というので、長田大主のお考えになったことが、自分の娘の真乙姥と姑乙姥に、「これの首を取るためには、つまり政略結婚だ。」と言って、次女の姑乙姥をオヤケ赤蜂のところに嫁に行かして、「あんたはお父さんの言うことをこれからよう聞け。赤蜂はお父さんに反感を持っているはずだから、お前は赤蜂の夫婦となって、赤蜂の首を取って殺しなさい。」と命令した。昔は親の言うことは絶対服従だからね、姑乙姥はオヤケ赤蜂のところに嫁いで行くわけさあね。姑乙姥は赤蜂に嫁いで行って夫婦になって、生活をしてがら自分の夫を見ていると、「農民のこんなに苦しんで作っている物をお父さんなんかは座ってこれを献上させているから、自分のお父さんの言われることが間違いじゃないか。」と思うようになった。赤蜂は、首里も石垣島の役人も、自分らは高税の上に食べていて、そのために農民からとる税金があまりに負担だから、「あんたら上の人は座っておられて我々の血と涙、汗で作った物を献上しなさいと言っている。これでは我々農民は生活できないじゃないか。」と言う苦しみのなかから起こったのが、赤蜂のものの見方さあね。これを見た妻の姑乙姥は、「これは赤蜂のいうのが本当の人間としてのこれが生き方じゃないか。お父さんなんかのやっていらっしゃることは、自分から見たら間違いだ。」と今度はお父さんの言われる赤蜂を征伐どころか、赤蜂と今度は一体となって協力していて、親がこの赤蜂と戦うような場面になると、とうとう姑乙姥は父親に歯向かってくるというような立場をとった。すると父親の長田大主は、「これは親不孝者だ。」と姑乙姥を勘当した。赤蜂が首里の軍に殺され、姑乙姥も死ぬと長田大主は、「こんな親不孝者はつぶせ。」と言って、真乙姥御嶽(ま い つばおたけ)の入口の西側に姑乙姥の墓を造って世の中の戒めと言って、大衆が集まる豊年祭のときにはこの墓の上に人が上がって、「こんな親不孝者なんかつぶせ。」とパンパンパンと踏ませていた。戦後これが、「赤蜂こそ、我々農民の最大の味方だ。」と見直されて、「今までの我々の考えは強権的で封建的だった。苦しんで人を助け、思いやりをしたのは赤蜂と姑乙姥だ。」と言って、この姑乙姥の遺骨を今までは本当にすまなかったとこれを掘り起こして、骨を半分は分骨をして大浜公園の中にあるオヤケ赤蜂の墓と一緒の墓の中に葬り、半分は今の真乙姥の西側の方に葬って今これを讃えている。うちなんかは新川では、半分は大浜に持って行って、亡くなっても赤蜂と一緒にしたから、あの世で幸せな生活をしてもらいたいと思っています。

再生時間:7:21

民話詳細DATA

レコード番号 47O341043
CD番号 47O34C079
決定題名 オヤケ赤蜂(共通語)
話者がつけた題名
話者名 森永用長
話者名かな もりながようちょう
生年月日 19161222
性別
出身地 沖縄県石垣市字石垣
記録日 19980907
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市石垣 T34 A08
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード オヤケ赤蜂,大力,農民,首里王府,八重山,長田大王,反乱,西表,慶来慶田城,真乙姥,姑乙姥,政略結婚,命令,絶対服従,間違い,協力,親不孝者,勘当,真乙姥御嶽,墓,踏ませて,見直され,遺骨,大浜公園,新川
梗概(こうがい) オヤケ赤蜂は大力で人が寄りつけないぐらいの体力で農民の庶民派さあね。あの当時は首里王府の直系の八重山の当主は長田大王(なーたたいおう)の長田大主(なーたふーじ)と言ってる。この人は首里の王の味方さあね。これに赤蜂は反乱を起こしたので首里王府は、「このオヤケ赤蜂を征伐しなければいかない。」と言うことで、西表の慶来慶田城という王は、「田大主に協力してあのオヤケ赤蜂を討つように協力しよう。」というので、長田大主のお考えになったことが、自分の娘の真乙姥と姑乙姥に、「これの首を取るためには、つまり政略結婚だ。」と言って、次女の姑乙姥をオヤケ赤蜂のところに嫁に行かして、「あんたはお父さんの言うことをこれからよう聞け。赤蜂はお父さんに反感を持っているはずだから、お前は赤蜂の夫婦となって、赤蜂の首を取って殺しなさい。」と命令した。昔は親の言うことは絶対服従だからね、姑乙姥はオヤケ赤蜂のところに嫁いで行くわけさあね。姑乙姥は赤蜂に嫁いで行って夫婦になって、生活をしてがら自分の夫を見ていると、「農民のこんなに苦しんで作っている物をお父さんなんかは座ってこれを献上させているから、自分のお父さんの言われることが間違いじゃないか。」と思うようになった。赤蜂は、首里も石垣島の役人も、自分らは高税の上に食べていて、そのために農民からとる税金があまりに負担だから、「あんたら上の人は座っておられて我々の血と涙、汗で作った物を献上しなさいと言っている。これでは我々農民は生活できないじゃないか。」と言う苦しみのなかから起こったのが、赤蜂のものの見方さあね。これを見た妻の姑乙姥は、「これは赤蜂のいうのが本当の人間としてのこれが生き方じゃないか。お父さんなんかのやっていらっしゃることは、自分から見たら間違いだ。」と今度はお父さんの言われる赤蜂を征伐どころか、赤蜂と今度は一体となって協力していて、親がこの赤蜂と戦うような場面になると、とうとう姑乙姥は父親に歯向かってくるというような立場をとった。すると父親の長田大主は、「これは親不孝者だ。」と姑乙姥を勘当した。赤蜂が首里の軍に殺され、姑乙姥も死ぬと長田大主は、「こんな親不孝者はつぶせ。」と言って、真乙姥御嶽(ま い つばおたけ)の入口の西側に姑乙姥の墓を造って世の中の戒めと言って、大衆が集まる豊年祭のときにはこの墓の上に人が上がって、「こんな親不孝者なんかつぶせ。」とパンパンパンと踏ませていた。戦後これが、「赤蜂こそ、我々農民の最大の味方だ。」と見直されて、「今までの我々の考えは強権的で封建的だった。苦しんで人を助け、思いやりをしたのは赤蜂と姑乙姥だ。」と言って、この姑乙姥の遺骨を今までは本当にすまなかったとこれを掘り起こして、骨を半分は分骨をして大浜公園の中にあるオヤケ赤蜂の墓と一緒の墓の中に葬り、半分は今の真乙姥の西側の方に葬って今これを讃えている。うちなんかは新川では、半分は大浜に持って行って、亡くなっても赤蜂と一緒にしたから、あの世で幸せな生活をしてもらいたいと思っています。
全体の記録時間数 7:53
物語の時間数 7:21
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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