宮良(みやら)の宮良部落にね、大城師番(おおしろしばん)と言う役人がおったわけよ。この人がね、川平(かびら)の川平湾の出口の東側に、今はないけれども昔は仲筋(なかすず)と言う部落があったさ。そこの役人をしておって、宮良から向こうまで通っておったわけさあね。その仲筋からの帰りに川平からこのシーラ湾と言う海辺をずっと名蔵湾(なぐらわん)の側を通ってくると、名蔵大橋とケーラ崎の真ん中の湾みたいになってるところで、そこの海に周囲は砂ばっかしでね、珊瑚礁が青くなるぐらい深いところがあるよ。これを赤牛礁湖(あかまらぐむる)と言っているさ。向こうの海はね、神秘的な海だと言ってよ、人間は海に漁りに行っても、周囲は珊瑚礁ではなくて砂ばっかしでね、砂だもんだからスルスルスルと滑って命を落とす場合が多いということで八重山の人は間違っても向こうには行かない。その赤牛礁湖(あかまらぐむる)からね、赤毛の子馬が這いだしてきてよ、そうしてシーラ橋ぐらいにくると大城師番(おおしろしばん)が乗っている馬に後ろからその赤馬(あかんま)がついてくるって。大城師番(おおしろしばん)は、「ああ、珍しいな。」と言って、あすこまで行ってもここへ行ってもついてきて、こちらが止まれば向こうも止まるというような調子でね、自分を追って来たって。その子馬は宮良までついてきたから、「この馬は不思議な馬だ。」と言うわけで、大事に育てていたらもう走り方も上手いし、それから教わったかどうかはわからないけども、乗るときにはね、その赤馬が腹這いになって、大城師番(おおしろしばん)を乗せて、その赤馬を走らすと、湯飲みにお茶を入れて持っていても、こぼれないほど細かい走り方であるというような、そういう名馬になっておったわけよ。その馬の主がこれは不思議な馬だと宮良でも不思議がられて、春野原勝負(はるしょうぶ)の競走でも一番になったりして、有名な馬になっておったわけね。それでこれを首里王府が聞かれて、「そういう名馬なら献上しろ。」と命令があって、今度はこの馬を馬主の大城師番(おおしろしばん)と一緒に首里王府呼ばれた。そのときね、宮良と大浜(おおはま)の間に入り江があるよ。大浜に間に入り江があるさ。そこから沖縄に行ったんでしょうな。その船が出るのが見える場所は、馬見岡(うまみむる)て言う。そこに、現在赤馬の碑があるよ。大城師番(おおしろしばん)が首里に呼ばれていったときの見送りのときに別れる歌がまた赤馬節(あかんまぶし)にあってね、「生(ま)りだかい、産(すでぃ)る甲斐(か い)、うらみちようがな生(うま)れ。」と歌って、「生まれて良かったな。我々は及ばない。首里王府にお前は呼ばれていく。」て言う意味で、同じ赤馬節だけど、多くが違うわけですよ。そんなにして赤馬は首里まで行って、それで首里城の真ん中で、「はい、それじゃ、走らしなさい。」と言ったら、馬の役人がおって、その役人が乗ってもその馬はもう全然走りもしない。それを見て王様が、「こんなものを名馬と言って連れて来るのは、大変なことだ。主に飼い主に乗らせてみろ。」と言うて、皆の見る前で飼い主が呼ばれて、それで首里城の真ん中で飼い主の大城師番(おおしろしばん)が乗ったら、馬はもう座ってから主を乗せて、立ったら首里城の大きな広場をね、もう幾度も神業でないかなと思うぐらいの走り方で、王様の前で走ってみせた。「これはやっぱり人馬一体と言う言葉も昔からある。これは主に自分がとるべき馬ではない、主に返すべきものだ。」と言われて、そのときにこの大城師番にね、「これはお前しか使えんからお前に返してやる。」と赤馬を渡されたから、そのときの大城師番(おおしろしばん)の嬉しさというのが、「ああ嬉しい、喜ばしい」と言う歌と同じように、「いらしゃにしゃ今日(きゅう)ぬ日(ひ)、とぅくしゃにしゃ黄金日(くがぬひ)。」という歌に出て、それが今日八重山では、家造りとかの祝いの隻で一番最初に喜びを表す「赤馬節」と言っている。また送別の歌はまた別に同じ曲目であるけれど、最初の見送りのものは、別れるときの文句だからね、よく追悼会なんかで歌われます。
| レコード番号 | 47O341024 |
|---|---|
| CD番号 | 47O34C078 |
| 決定題名 | 赤馬節由来(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 石垣稔 |
| 話者名かな | いしがきみのる |
| 生年月日 | 19090105 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県石垣市字石垣 |
| 記録日 | 19980314 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 石垣市石垣 T32 B03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 本格昔話、 伝説、 歌 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 宮良,大城師番,役人,川平,仲筋,シーラ湾,名蔵湾,赤牛礁湖,あかまらぐむる,赤毛の子馬,赤馬,大事に育て,腹這い,湯飲み,名馬,不思議,春野原勝負,競走,一番,有名,首里王府,献上,大浜,入り江,沖縄,馬見岡,赤馬の碑,見送り,赤馬節,首里城,馬の役人,飼い主,神業,人馬一体,嬉しさ,黄金日,八重山,家造りと,祝い,一番最初,送別の歌,追悼会 |
| 梗概(こうがい) | 宮良(みやら)の宮良部落にね、大城師番(おおしろしばん)と言う役人がおったわけよ。この人がね、川平(かびら)の川平湾の出口の東側に、今はないけれども昔は仲筋(なかすず)と言う部落があったさ。そこの役人をしておって、宮良から向こうまで通っておったわけさあね。その仲筋からの帰りに川平からこのシーラ湾と言う海辺をずっと名蔵湾(なぐらわん)の側を通ってくると、名蔵大橋とケーラ崎の真ん中の湾みたいになってるところで、そこの海に周囲は砂ばっかしでね、珊瑚礁が青くなるぐらい深いところがあるよ。これを赤牛礁湖(あかまらぐむる)と言っているさ。向こうの海はね、神秘的な海だと言ってよ、人間は海に漁りに行っても、周囲は珊瑚礁ではなくて砂ばっかしでね、砂だもんだからスルスルスルと滑って命を落とす場合が多いということで八重山の人は間違っても向こうには行かない。その赤牛礁湖(あかまらぐむる)からね、赤毛の子馬が這いだしてきてよ、そうしてシーラ橋ぐらいにくると大城師番(おおしろしばん)が乗っている馬に後ろからその赤馬(あかんま)がついてくるって。大城師番(おおしろしばん)は、「ああ、珍しいな。」と言って、あすこまで行ってもここへ行ってもついてきて、こちらが止まれば向こうも止まるというような調子でね、自分を追って来たって。その子馬は宮良までついてきたから、「この馬は不思議な馬だ。」と言うわけで、大事に育てていたらもう走り方も上手いし、それから教わったかどうかはわからないけども、乗るときにはね、その赤馬が腹這いになって、大城師番(おおしろしばん)を乗せて、その赤馬を走らすと、湯飲みにお茶を入れて持っていても、こぼれないほど細かい走り方であるというような、そういう名馬になっておったわけよ。その馬の主がこれは不思議な馬だと宮良でも不思議がられて、春野原勝負(はるしょうぶ)の競走でも一番になったりして、有名な馬になっておったわけね。それでこれを首里王府が聞かれて、「そういう名馬なら献上しろ。」と命令があって、今度はこの馬を馬主の大城師番(おおしろしばん)と一緒に首里王府呼ばれた。そのときね、宮良と大浜(おおはま)の間に入り江があるよ。大浜に間に入り江があるさ。そこから沖縄に行ったんでしょうな。その船が出るのが見える場所は、馬見岡(うまみむる)て言う。そこに、現在赤馬の碑があるよ。大城師番(おおしろしばん)が首里に呼ばれていったときの見送りのときに別れる歌がまた赤馬節(あかんまぶし)にあってね、「生(ま)りだかい、産(すでぃ)る甲斐(か い)、うらみちようがな生(うま)れ。」と歌って、「生まれて良かったな。我々は及ばない。首里王府にお前は呼ばれていく。」て言う意味で、同じ赤馬節だけど、多くが違うわけですよ。そんなにして赤馬は首里まで行って、それで首里城の真ん中で、「はい、それじゃ、走らしなさい。」と言ったら、馬の役人がおって、その役人が乗ってもその馬はもう全然走りもしない。それを見て王様が、「こんなものを名馬と言って連れて来るのは、大変なことだ。主に飼い主に乗らせてみろ。」と言うて、皆の見る前で飼い主が呼ばれて、それで首里城の真ん中で飼い主の大城師番(おおしろしばん)が乗ったら、馬はもう座ってから主を乗せて、立ったら首里城の大きな広場をね、もう幾度も神業でないかなと思うぐらいの走り方で、王様の前で走ってみせた。「これはやっぱり人馬一体と言う言葉も昔からある。これは主に自分がとるべき馬ではない、主に返すべきものだ。」と言われて、そのときにこの大城師番にね、「これはお前しか使えんからお前に返してやる。」と赤馬を渡されたから、そのときの大城師番(おおしろしばん)の嬉しさというのが、「ああ嬉しい、喜ばしい」と言う歌と同じように、「いらしゃにしゃ今日(きゅう)ぬ日(ひ)、とぅくしゃにしゃ黄金日(くがぬひ)。」という歌に出て、それが今日八重山では、家造りとかの祝いの隻で一番最初に喜びを表す「赤馬節」と言っている。また送別の歌はまた別に同じ曲目であるけれど、最初の見送りのものは、別れるときの文句だからね、よく追悼会なんかで歌われます。 |
| 全体の記録時間数 | 13:13 |
| 物語の時間数 | 9:02 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |