豊年祭の綱引きの始まり(共通語)

概要

船頭主(うーにとぅーず)て言うのは八重山から首里に上納米を運搬している御用船の船頭さんさ。船頭主(うーにとぅーず)には本妻と妾が居ったわけ。この船頭主(うーにとぅーず)がね、首里に行くときに、真乙姥御嶽(まいつばおん)に、「もしも、航海から無事に帰ってくれば綱を引いてお祝いするよ。」と言うふうに願を立てておった。本妻は盲でものは見えないけど、この真乙姥御嶽(まいつばおん)に船頭主(うーにとぅーず)の航海安全を祈願をしておって、妾は元気でおった。それで本妻と妾の二人で真乙姥御嶽(まいつばおん)に船頭主(うーにとぅーず)が無事帰ってくるように、信仰していると、船頭主(うーにとぅーず)の船は台風でそれが明であったか清であったか分からないけども、唐の国に流されてね、その後、無事に帰ってきたわけさ。二人の妻は、船頭主(うーにとぅーず)がポックリ帰ってきたので、「さあ、この御嶽の神様のおかげで帰ってきたのだから綱を引いてあげましょう。」とその喜びを昔は井戸から水を汲むのは、蓑笠を作る蒲葵(く ば)で綯った縄を使って釣瓶で水から汲み上げていたから、あれを持ってきて本妻と妾がヤッサイ、ヤッサイと引きはじめたのが真乙姥御嶽(まいつばおん)の綱引きの始まりと言われてるさ。それがいつのころころかはわからないけど、この真乙姥御嶽の前での綱引きは、豊年祭の大綱引きが変わってきたわけさ。それで年毎に豊年祭のときに、昔の役人の奥さんなんかをアヒャーグヮーと言うから女綱をアヒャーン綱と言うさ。だから今でも真乙姥御嶽で引く綱引きの終わりは、女人だけでやって男は絶対手をかさない。この四箇村の大元の石垣と登野城は兄弟村で、大川は登野城から分家した分家村で、新川は石垣から分家した分家村だから、豊年祭の綱引きも四箇村でやるが、全ての企画は全部新川字会がやって、綱の準備もなんもかもみんな新川が世話をする。石垣、大川登野城は参加するだけ。綱を引くときは、この四箇村で一番高いところはずっと西に高台の真乙姥御嶽だと言われているから、新川などの地盤の高いところが向こうかわからんが向こうに綱を移動して、向こうで綱の見回ったりしていて、綱を引きは登野城と石垣は東側、大川と新川は西側の兄弟村で引いているよ。また、真乙姥御嶽(まいつばおん)の東の井戸は、そういう歴史のある井戸だもんだから崩すこともできないと言うことで、新川(あらかわ)が守ってると言うて門のすぐ下に囲ってある。

再生時間:8:16

民話詳細DATA

レコード番号 47O341019
CD番号 47O34C077
決定題名 豊年祭の綱引きの始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 石垣稔
話者名かな いしがきみのる
生年月日 19090105
性別
出身地 沖縄県石垣市字石垣
記録日 19980314
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市石垣 T32 A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説、 民俗
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 船頭主,八重山,首里,上納米,御用船,本妻,妾,真乙姥御嶽,お祝い,航海安全,祈願,台風,唐の国,井戸,蒲葵,縄,釣瓶,綱引き,豊年祭,アヒャーグヮー,女綱,アヒャーン綱,四箇村,石垣,登野城,兄弟村,大川,分家村,新川
梗概(こうがい) 船頭主(うーにとぅーず)て言うのは八重山から首里に上納米を運搬している御用船の船頭さんさ。船頭主(うーにとぅーず)には本妻と妾が居ったわけ。この船頭主(うーにとぅーず)がね、首里に行くときに、真乙姥御嶽(まいつばおん)に、「もしも、航海から無事に帰ってくれば綱を引いてお祝いするよ。」と言うふうに願を立てておった。本妻は盲でものは見えないけど、この真乙姥御嶽(まいつばおん)に船頭主(うーにとぅーず)の航海安全を祈願をしておって、妾は元気でおった。それで本妻と妾の二人で真乙姥御嶽(まいつばおん)に船頭主(うーにとぅーず)が無事帰ってくるように、信仰していると、船頭主(うーにとぅーず)の船は台風でそれが明であったか清であったか分からないけども、唐の国に流されてね、その後、無事に帰ってきたわけさ。二人の妻は、船頭主(うーにとぅーず)がポックリ帰ってきたので、「さあ、この御嶽の神様のおかげで帰ってきたのだから綱を引いてあげましょう。」とその喜びを昔は井戸から水を汲むのは、蓑笠を作る蒲葵(く ば)で綯った縄を使って釣瓶で水から汲み上げていたから、あれを持ってきて本妻と妾がヤッサイ、ヤッサイと引きはじめたのが真乙姥御嶽(まいつばおん)の綱引きの始まりと言われてるさ。それがいつのころころかはわからないけど、この真乙姥御嶽の前での綱引きは、豊年祭の大綱引きが変わってきたわけさ。それで年毎に豊年祭のときに、昔の役人の奥さんなんかをアヒャーグヮーと言うから女綱をアヒャーン綱と言うさ。だから今でも真乙姥御嶽で引く綱引きの終わりは、女人だけでやって男は絶対手をかさない。この四箇村の大元の石垣と登野城は兄弟村で、大川は登野城から分家した分家村で、新川は石垣から分家した分家村だから、豊年祭の綱引きも四箇村でやるが、全ての企画は全部新川字会がやって、綱の準備もなんもかもみんな新川が世話をする。石垣、大川登野城は参加するだけ。綱を引くときは、この四箇村で一番高いところはずっと西に高台の真乙姥御嶽だと言われているから、新川などの地盤の高いところが向こうかわからんが向こうに綱を移動して、向こうで綱の見回ったりしていて、綱を引きは登野城と石垣は東側、大川と新川は西側の兄弟村で引いているよ。また、真乙姥御嶽(まいつばおん)の東の井戸は、そういう歴史のある井戸だもんだから崩すこともできないと言うことで、新川(あらかわ)が守ってると言うて門のすぐ下に囲ってある。
全体の記録時間数 8:41
物語の時間数 8:16
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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