多田御嶽(共通語)

概要

大阿母という神職の人は、年に一回、首里の王に会いに行くのだが、ある年、中国の安南に流されてしまった。そこで米種を手に入れ、石垣の真栄里に持ち帰り、そこから稲作を広めた。そこで多田御嶽をつくり、種取り祭を行なうようになった。1502年に琉球王から真乙姥と多田遠那里(ただやうなり)が呼び出された。王は真乙姥に大阿母の神職を授けようとしたが、御願をしていた時に助けてくれたのは多田遠那里だからと辞退して多田遠那里に譲って、初代の多田御嶽の司になった。その人が亡くなってからは、長田大主の系統に引き継がれた。

再生時間:8:14

民話詳細DATA

レコード番号 47O340814
CD番号 47O34C062
決定題名 多田御嶽(共通語)
話者がつけた題名
話者名 牧野清
話者名かな まきのきよし
生年月日 19100519
性別
出身地 沖縄県石垣市字登野城
記録日 19970913
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 石垣市登野城 T07 B05
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 伝説
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 大阿母,神職,年に一回,首里,王,中国,安南,米種,石垣,真栄里,多田御嶽,種取り祭,1502年,真乙姥,多田遠那里,ただやうなり,長田大主
梗概(こうがい) 大阿母という神職の人は、年に一回、首里の王に会いに行くのだが、ある年、中国の安南に流されてしまった。そこで米種を手に入れ、石垣の真栄里に持ち帰り、そこから稲作を広めた。そこで多田御嶽をつくり、種取り祭を行なうようになった。1502年に琉球王から真乙姥と多田遠那里(ただやうなり)が呼び出された。王は真乙姥に大阿母の神職を授けようとしたが、御願をしていた時に助けてくれたのは多田遠那里だからと辞退して多田遠那里に譲って、初代の多田御嶽の司になった。その人が亡くなってからは、長田大主の系統に引き継がれた。
全体の記録時間数 8:34
物語の時間数 8:14
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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