これはもう封建時代のことですがね八重山には人頭税というものがあって沖縄の王様に貢物をあげてお
った時代があったんです。それでその時代は夏になるとやっぱりこの風を頼ってですね、南から北にこう風
を頼って馬艦船(まーらんせん)でこの貢物を持って行ったと。帰りはまた南のほうに北から送るニヒミヒ
ト風を利用して船でもう行っておったんですよね。それでどうしてもこの船をもう進路が分からなくなった
ら、どこの島を探してでももういったん見つけたならこれはもう必ず引き取るという時代があったんです。
んで、波照間島というのは、日本の最南端でもう台湾の近くですよ。日本の最南端の碑があるでしょう。向
こうには、ウニニヤーという船を直す技術を持っているという人がおったんですよ。で、あの当時には波照
間のマッシューナー村にですねマッシューナー村という前、いっしゅ村と書いてマッシューナー村とよむん
で今現在ありますから、で、そこのマッシュードゥ、このウニニヤーを尋ねていったんです。で、こちらか
ら役人を四、五名とマッシューナー村の向こうでは総代というのが(聞き取り不能)部落ではあるというん
ですからこれと一緒に行って尋ねた。んで、「ウニニヤーお前はあんたはもうこの技術が非常に秀でてると
いうことはこの石垣のね、役人達も聞いているから、さあ、今日から行って石垣に行って働くようにしろ。
」と。言うたんですよ。ところがこのウニニヤーはですね、「いやいや役人さん、どうぞ許してください。
私はこのくらやまといってですね、もう今夫婦になったばかりで、もう新しい家を建てておる。今時にね、
置かれるというのはちょっとなんだから、必ずもういい人もいらっしゃるはずだからどうぞ私だけは許して
ください。」と頼むんです。だから、「これはもう天のお声、神の声だから仕方がない。」と女はもう向こ
うに置いてですね、ウニニヤーを石垣のほうに連れてきたと。それで、石垣のほうではやはり役人達もよく
考えてもう女を与えてですね、非常に楽しくさしてだから技術もあったので、沖縄に行ったり来たりしてや
っておった。ところが時代はいつまでも同じようではない。後輩もできるし、自分は年を取るというので、
もう仕方なく自分で辞めなくちゃならない羽目になってとうとう波照間へ帰らなくちゃならない。それで、
波照間へ帰ると別に道具というのもたくさんないが、ちょっとした道具をアーンツクに入れて棒にぶっ下げ
て、波照間はこう高いところがある坂道を歩きつつも、「昔のクヤマのことを思い今ごろもう夫も持ってい
るんだね、だはず、まああれもこれも自分が悪かったんだ。」と心を厳しく言っておるうち向こうから向こ
うからクヤマが来るんですよ。クヤマはニーシというのがあって、こちらで咲くんですよ。それを家に置い
てこっちではまた魚をこれはツナイジュンというんですがね、これを持ってくるんですよ。クヤマが来て、
「兄さん、カニ、カニ、というカニビラあんたね、どうして心を(聞き取り不能)するか。私はその後ね、
何もよく持つという(聞き取り不能)も持っていない。あんたの来るのを持っておったんですよ。いわば一
月一日の思いで待っておったんもう全てはあちらの(聞き取り不能)ね。これはよ、力仕事ところであった
んだからね、さあ、これから私が持ってきたあれも飲みなさい。このジューシーも食べなさい。」と言った
らウニニヤーも初めて、「あー、そうか。」と言うて、もうつなぎジューも食べて、それからこれも飲んで
ね。それから楽しくもとのさやに納まったということですよ。それを民謡化されているんですよ。
・
| レコード番号 | 47O160158 |
|---|---|
| CD番号 | 47O16C009 |
| 決定題名 | フニニヤーの旅(共通語) |
| 話者がつけた題名 | フニニヤーの話 |
| 話者名 | 伊波興良 |
| 話者名かな | いはこうりょう |
| 生年月日 | 18970526 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | - |
| 記録日 | 19750805 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | T02 登野城2 B-15 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 人頭税,フニニヤー,馬艦船(まーらんせん) |
| 梗概(こうがい) | これはもう封建時代のことですがね八重山には人頭税というものがあって沖縄の王様に貢物をあげてお った時代があったんです。それでその時代は夏になるとやっぱりこの風を頼ってですね、南から北にこう風 を頼って馬艦船(まーらんせん)でこの貢物を持って行ったと。帰りはまた南のほうに北から送るニヒミヒ ト風を利用して船でもう行っておったんですよね。それでどうしてもこの船をもう進路が分からなくなった ら、どこの島を探してでももういったん見つけたならこれはもう必ず引き取るという時代があったんです。 んで、波照間島というのは、日本の最南端でもう台湾の近くですよ。日本の最南端の碑があるでしょう。向 こうには、ウニニヤーという船を直す技術を持っているという人がおったんですよ。で、あの当時には波照 間のマッシューナー村にですねマッシューナー村という前、いっしゅ村と書いてマッシューナー村とよむん で今現在ありますから、で、そこのマッシュードゥ、このウニニヤーを尋ねていったんです。で、こちらか ら役人を四、五名とマッシューナー村の向こうでは総代というのが(聞き取り不能)部落ではあるというん ですからこれと一緒に行って尋ねた。んで、「ウニニヤーお前はあんたはもうこの技術が非常に秀でてると いうことはこの石垣のね、役人達も聞いているから、さあ、今日から行って石垣に行って働くようにしろ。 」と。言うたんですよ。ところがこのウニニヤーはですね、「いやいや役人さん、どうぞ許してください。 私はこのくらやまといってですね、もう今夫婦になったばかりで、もう新しい家を建てておる。今時にね、 置かれるというのはちょっとなんだから、必ずもういい人もいらっしゃるはずだからどうぞ私だけは許して ください。」と頼むんです。だから、「これはもう天のお声、神の声だから仕方がない。」と女はもう向こ うに置いてですね、ウニニヤーを石垣のほうに連れてきたと。それで、石垣のほうではやはり役人達もよく 考えてもう女を与えてですね、非常に楽しくさしてだから技術もあったので、沖縄に行ったり来たりしてや っておった。ところが時代はいつまでも同じようではない。後輩もできるし、自分は年を取るというので、 もう仕方なく自分で辞めなくちゃならない羽目になってとうとう波照間へ帰らなくちゃならない。それで、 波照間へ帰ると別に道具というのもたくさんないが、ちょっとした道具をアーンツクに入れて棒にぶっ下げ て、波照間はこう高いところがある坂道を歩きつつも、「昔のクヤマのことを思い今ごろもう夫も持ってい るんだね、だはず、まああれもこれも自分が悪かったんだ。」と心を厳しく言っておるうち向こうから向こ うからクヤマが来るんですよ。クヤマはニーシというのがあって、こちらで咲くんですよ。それを家に置い てこっちではまた魚をこれはツナイジュンというんですがね、これを持ってくるんですよ。クヤマが来て、 「兄さん、カニ、カニ、というカニビラあんたね、どうして心を(聞き取り不能)するか。私はその後ね、 何もよく持つという(聞き取り不能)も持っていない。あんたの来るのを持っておったんですよ。いわば一 月一日の思いで待っておったんもう全てはあちらの(聞き取り不能)ね。これはよ、力仕事ところであった んだからね、さあ、これから私が持ってきたあれも飲みなさい。このジューシーも食べなさい。」と言った らウニニヤーも初めて、「あー、そうか。」と言うて、もうつなぎジューも食べて、それからこれも飲んで ね。それから楽しくもとのさやに納まったということですよ。それを民謡化されているんですよ。 ・ |
| 全体の記録時間数 | 6:20 |
| 物語の時間数 | 5:54 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |