祖納部落だけれども、下の部落と上の部落、下の部落があったのでね、もう別に常日頃はもうどうもなんだったんだけれどもね、節祭りの時にもうあの爬竜船漕ぐからさ、あれでもう兄弟なんかでも喧嘩してな、爬竜もどうかしてですね、ああいうこともあって。祖納は祖納、下の部落は下の部落で、めいめい行事は別個だったんですよ、上の村の行事と下の村の行事と別個別個で。その節祭りの日は一か所に集まって、浜でもって東組西組と別れてですね、行事は別だったんですよ、はい。そして下の部落はですね、この弥勒、弥勒が元になるんですよね、はい、そう。そして終わったら、その婦人連中、その女連中はその弥勒を灯してからタマデセ屋に行く。また祖納部落の人、ええと。上部落の人はまた家に来たんですよ。そこでまた浜出て行事、やるんです。それからがまた御嶽のそのこの家に行ってそこでまた行事やって、それからが集会所に戻って来てそこでまたみんなやったんですけどもね。ああいう時に祖納村、ええ、上の部落にもンガカーと、今大平川とおっしゃったですね、あれは下の部落の川ですよ、井戸ですよ。上の部落の者はまたンガカーと言うんですがね。冗談か分からんけども、ンガ、ンガカーって。あすこはうちの祖先が掘ったらしい。ちょうど海岸端ですけどもね、海岸端だけれどもそこ、その周囲、周囲を石、石垣積んでからこうして、井戸の所へずっとあげて。そこに上の部落の人は節祭りの翌日は。下の部落の人は大平川に行くし、上の部落の人は今いうンガ、ンガカーに行って、またそこの同じ行事をするんですよね、はい。ああいうふうにしとったんですけどそれからがもう次第次第に、もうああいう、上の村高いからですねもちろん水道もないし井戸水だからもう大変だからといってですね、みんな下の村に引っ越して来たから今上の村も何にもないですよ、ないです、はい。だから今はもう一つになって別に喧嘩せずにもう、昔は上の村下の村って喧嘩したんだけど、今はみんな一緒になったもんだから別にもうああいう喧嘩もないだ。ただ白赤でもってぎをやってるよってね。昔の役人が付けたんじゃないですかね、マルマボンサンって、ともかくありますよ。みなかたことある、にのまたせいぼは。ありますよ、歌ぐゎもありますけどもね。「マルマボンサン、ユニャユニャミリバ、カジヌニウシティ、イチュルシルシャサギ、エイヤラエンザー」という歌ありますけどね。あれも五つ、五節ぐらいあるんじゃないかな。節祭りはだから、船漕ぐ時はねその島を一周するんですよ。だいたいいくら、何メーターぐらいあるかな、いっぺんで千メートルぐらいあるんじゃないかな、いっぺん回って来るだけで、マルマボンサン回って来るのでも。浜から漕いで出てこのマルマボンサンこう回ってですね、最初出て行ってこのほらその前にこう横に行って帰って来て、また二回目行って帰って来て、この三回目にがこれ回るんだけれどね。こん時においてもよく、船をつかまえたのやらなのやらこなたやもう文句付けてから、浜に来てから櫂持ってから、やったらしいですよ。ひどかったって。ああいう話ありますけどね。だから相当大変だったですよ、その時代の人は、船漕ぐのは大変です。あれもう往復でそうだな一回、二回までも、千五百、三千、それ回るまでも二千三千くらいじゃないですかな、あれ漕ぐんだから。[ 調:勝負ですか] 。勝負ですよ、だから。あの時は勝負だからね、もう上の村下の村対抗しとるんだから危なかったですよ。生徒なんかではよう喧嘩したよ。
| レコード番号 | 47O417741 |
|---|---|
| CD番号 | 47O41C389 |
| 決定題名 | 節祭りの説明(共通語) |
| 話者がつけた題名 | 節祭りの説明 |
| 話者名 | 宮良用庸 |
| 話者名かな | みやらようよう |
| 生年月日 | 19080320 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 竹富町租内 |
| 記録日 | 19800713 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
| 元テープ番号 | 宜野湾T30B11 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | - |
| キーワード | 祖納部落,節祭り,爬竜船,東組西組,弥勒,タマデセ屋,ンガカー,大平川, |
| 梗概(こうがい) | 祖納部落だけれども、下の部落と上の部落、下の部落があったのでね、もう別に常日頃はもうどうもなんだったんだけれどもね、節祭りの時にもうあの爬竜船漕ぐからさ、あれでもう兄弟なんかでも喧嘩してな、爬竜もどうかしてですね、ああいうこともあって。祖納は祖納、下の部落は下の部落で、めいめい行事は別個だったんですよ、上の村の行事と下の村の行事と別個別個で。その節祭りの日は一か所に集まって、浜でもって東組西組と別れてですね、行事は別だったんですよ、はい。そして下の部落はですね、この弥勒、弥勒が元になるんですよね、はい、そう。そして終わったら、その婦人連中、その女連中はその弥勒を灯してからタマデセ屋に行く。また祖納部落の人、ええと。上部落の人はまた家に来たんですよ。そこでまた浜出て行事、やるんです。それからがまた御嶽のそのこの家に行ってそこでまた行事やって、それからが集会所に戻って来てそこでまたみんなやったんですけどもね。ああいう時に祖納村、ええ、上の部落にもンガカーと、今大平川とおっしゃったですね、あれは下の部落の川ですよ、井戸ですよ。上の部落の者はまたンガカーと言うんですがね。冗談か分からんけども、ンガ、ンガカーって。あすこはうちの祖先が掘ったらしい。ちょうど海岸端ですけどもね、海岸端だけれどもそこ、その周囲、周囲を石、石垣積んでからこうして、井戸の所へずっとあげて。そこに上の部落の人は節祭りの翌日は。下の部落の人は大平川に行くし、上の部落の人は今いうンガ、ンガカーに行って、またそこの同じ行事をするんですよね、はい。ああいうふうにしとったんですけどそれからがもう次第次第に、もうああいう、上の村高いからですねもちろん水道もないし井戸水だからもう大変だからといってですね、みんな下の村に引っ越して来たから今上の村も何にもないですよ、ないです、はい。だから今はもう一つになって別に喧嘩せずにもう、昔は上の村下の村って喧嘩したんだけど、今はみんな一緒になったもんだから別にもうああいう喧嘩もないだ。ただ白赤でもってぎをやってるよってね。昔の役人が付けたんじゃないですかね、マルマボンサンって、ともかくありますよ。みなかたことある、にのまたせいぼは。ありますよ、歌ぐゎもありますけどもね。「マルマボンサン、ユニャユニャミリバ、カジヌニウシティ、イチュルシルシャサギ、エイヤラエンザー」という歌ありますけどね。あれも五つ、五節ぐらいあるんじゃないかな。節祭りはだから、船漕ぐ時はねその島を一周するんですよ。だいたいいくら、何メーターぐらいあるかな、いっぺんで千メートルぐらいあるんじゃないかな、いっぺん回って来るだけで、マルマボンサン回って来るのでも。浜から漕いで出てこのマルマボンサンこう回ってですね、最初出て行ってこのほらその前にこう横に行って帰って来て、また二回目行って帰って来て、この三回目にがこれ回るんだけれどね。こん時においてもよく、船をつかまえたのやらなのやらこなたやもう文句付けてから、浜に来てから櫂持ってから、やったらしいですよ。ひどかったって。ああいう話ありますけどね。だから相当大変だったですよ、その時代の人は、船漕ぐのは大変です。あれもう往復でそうだな一回、二回までも、千五百、三千、それ回るまでも二千三千くらいじゃないですかな、あれ漕ぐんだから。[ 調:勝負ですか] 。勝負ですよ、だから。あの時は勝負だからね、もう上の村下の村対抗しとるんだから危なかったですよ。生徒なんかではよう喧嘩したよ。 |
| 全体の記録時間数 | 4:57 |
| 物語の時間数 | 4:51 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ◎ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |