それから、手じゅくん井戸とか、例の海の真中に、あの湧水があったわけです。今の(空港)ターミナルのちょっと側にですね。あれは。勢理客御主が、どれも探り当てて、湧水見つけたということで、あちこちから、拝んでおりますがね。それから、勢理客御主が、首里仕めしながら、どうして、首里城の伝説(記録)に載っておられないかということを、先輩方から、いろいろ、あっちこっち歩き回って、お伺いしたらですね、勢理客御主が、首里仕めしている時に、南風原宮平の祝女の話が出たらしい。王の巡回旅ごとに、宮平の祝女は、あんまり王を嫌って相手になさらないので、「これは、これでは良くないから、もう、宮平の祝女は、誰か(つれ出すことが)できるのがいれば、添わせても良いが。」という話がでて、これは、実際は、冗談まじりであったらしいが。勢理客御主は、「それでは。」といって、お祭りの場合に、祝女が先頭になって、馬に乗って部落民の指導者として、拝所、嶽拝みに行かれる途中に、勢理客御主が、馬から乗ってこられて、抱きかかえて行って、自分の嫁にしなさったって。
それから、首里は、よけいに大騒動になって、もう、武芸者なので(かんたんに)手も付けられなくて、「とー、とー、もうこれはここから、言い出した話なので、やもえない。」というふうになって首里に仕めたという、首里城の伝説(記録)から抜かれたという、伝え話があるわけですね。
それで、私達の門中としては、宮平のお祭りには、毎年、拝みに行くわけです、で、お墓には、女[たちくち、]といって、あの、その方が、真正面、真向いに、祭られているわけです。
それから勢理客御主の伝え話は、高良には上内間武士という友人がいて、「さー、井戸でも掘って、人のため、互いに造ってみよう。」といって、堀り出したが、高良の上内間は、後ぬ井戸といって、崩れにくい土の井戸なって、作るのに暇のいらん井戸なって勢理客御主のものは、昔の村の前、元の馬場の側で、土は崩れやすくて(掘りにくかった)そこに、高良の上内間が、いらっしゃって「どうだ、井戸というのは、水が出るものが、井戸だろうが。」と、いったので、「そうかい。」といって、勢理客御主は、また、高良にいかれて、井戸を見て、「とー、君のものは、君、一人が飲む分しか、水は出てない。これは、井戸にはなってない。井戸というものは、水というものは、万人に使わすのが良い井戸だよ。」と、いわれた。
それから、同じ武芸者同士なので、今度は、ここで、もみ合いになったらしい。その時に、勢理客御主は、「君となら、いい勝負だ。何でも、君がするのは、してよいから。」と、いいなさって、ここに松が生えているのを、引き抜いて、この松を引き抜いて、井戸に押し込みなさったので、高良の上内間は、「もう、これは、私がは、かなわない。この人に、手出ししたら、私が負けてしまう。」と、いいなさって、それから、「もう、元通り、良い友人になって下さい。」といって、手を取って、良い友人に戻ったということから、高良の部落としては、後ぬ井戸は、ひとつの村井戸になっているので、これを村で、井戸さらいしたり、する時には、この井戸、汚してはいけないといって、手合せもしないで、この松を抜いて、ここに入れたおかげで、争いも作られなかったという伝説からの例から、二間木を切って、井戸さらいの時には、高良の後ぬ井戸に入れたという、高良の部落自体の由来記としても、まだ残っているという話ですからね。
| レコード番号 | 47O160507 |
|---|---|
| CD番号 | 47O16C027 |
| 決定題名 | 赤嶺勢理客の話 井戸(シマグチ) |
| 話者がつけた題名 | 赤嶺ジッチャク |
| 話者名 | 長嶺武市 |
| 話者名かな | ながみねたけいち |
| 生年月日 | 19171130 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | - |
| 記録日 | 19750622 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸調査団 |
| 元テープ番号 | T5 A03 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 本格昔話、 伝説 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 那覇の民話資料(第1集 小禄地区)P87 |
| キーワード | 力持ち,首里勤め,武芸,力勝負,井戸掘り |
| 梗概(こうがい) | それから、手じゅくん井戸とか、例の海の真中に、あの湧水があったわけです。今の(空港)ターミナルのちょっと側にですね。あれは。勢理客御主が、どれも探り当てて、湧水見つけたということで、あちこちから、拝んでおりますがね。それから、勢理客御主が、首里仕めしながら、どうして、首里城の伝説(記録)に載っておられないかということを、先輩方から、いろいろ、あっちこっち歩き回って、お伺いしたらですね、勢理客御主が、首里仕めしている時に、南風原宮平の祝女の話が出たらしい。王の巡回旅ごとに、宮平の祝女は、あんまり王を嫌って相手になさらないので、「これは、これでは良くないから、もう、宮平の祝女は、誰か(つれ出すことが)できるのがいれば、添わせても良いが。」という話がでて、これは、実際は、冗談まじりであったらしいが。勢理客御主は、「それでは。」といって、お祭りの場合に、祝女が先頭になって、馬に乗って部落民の指導者として、拝所、嶽拝みに行かれる途中に、勢理客御主が、馬から乗ってこられて、抱きかかえて行って、自分の嫁にしなさったって。 それから、首里は、よけいに大騒動になって、もう、武芸者なので(かんたんに)手も付けられなくて、「とー、とー、もうこれはここから、言い出した話なので、やもえない。」というふうになって首里に仕めたという、首里城の伝説(記録)から抜かれたという、伝え話があるわけですね。 それで、私達の門中としては、宮平のお祭りには、毎年、拝みに行くわけです、で、お墓には、女[たちくち、]といって、あの、その方が、真正面、真向いに、祭られているわけです。 それから勢理客御主の伝え話は、高良には上内間武士という友人がいて、「さー、井戸でも掘って、人のため、互いに造ってみよう。」といって、堀り出したが、高良の上内間は、後ぬ井戸といって、崩れにくい土の井戸なって、作るのに暇のいらん井戸なって勢理客御主のものは、昔の村の前、元の馬場の側で、土は崩れやすくて(掘りにくかった)そこに、高良の上内間が、いらっしゃって「どうだ、井戸というのは、水が出るものが、井戸だろうが。」と、いったので、「そうかい。」といって、勢理客御主は、また、高良にいかれて、井戸を見て、「とー、君のものは、君、一人が飲む分しか、水は出てない。これは、井戸にはなってない。井戸というものは、水というものは、万人に使わすのが良い井戸だよ。」と、いわれた。 それから、同じ武芸者同士なので、今度は、ここで、もみ合いになったらしい。その時に、勢理客御主は、「君となら、いい勝負だ。何でも、君がするのは、してよいから。」と、いいなさって、ここに松が生えているのを、引き抜いて、この松を引き抜いて、井戸に押し込みなさったので、高良の上内間は、「もう、これは、私がは、かなわない。この人に、手出ししたら、私が負けてしまう。」と、いいなさって、それから、「もう、元通り、良い友人になって下さい。」といって、手を取って、良い友人に戻ったということから、高良の部落としては、後ぬ井戸は、ひとつの村井戸になっているので、これを村で、井戸さらいしたり、する時には、この井戸、汚してはいけないといって、手合せもしないで、この松を抜いて、ここに入れたおかげで、争いも作られなかったという伝説からの例から、二間木を切って、井戸さらいの時には、高良の後ぬ井戸に入れたという、高良の部落自体の由来記としても、まだ残っているという話ですからね。 |
| 全体の記録時間数 | 3:41 |
| 物語の時間数 | 3:07 |
| 言語識別 | 方言 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |