岩石鉱物図鑑キッズガイド

琉球列島のなりたち

0.海だった琉球列島りゅうきゅうれっとう

 地球の誕生は46億年前といわれています。大陸は40~10億年前、日本列島がおよそ5億年前に対して、琉球列島の地史(ちし)は約2億年で、地球の歴史からすると、新しい方といえるでしょう。

 つまり、一般的に大陸の岩石は古く、大陸の周りにある小さな島は新しい岩石でできていることになります。日本列島や琉球列島は大陸の周りで、大陸とくっついたり、離れたりを繰り返してきた細長い島々なのです。

 地球の歴史を地質の年代順にならべると、古い方から「先カンブリア時代」「古生代(こせいだい)」「中生代(ちゅうせいだい)」「新生代(しんせいだい)」となり、これを地質時代といいます。

 恐竜が繁栄(はんえい)した時代は、約2億5千万年前からの中生代(ちゅうせいだい)で、約6500万年前に絶滅(ぜつめつ)しました。琉球列島に恐竜はいたのでしょうか? 地質時代に沿って、琉球列島のなりたちを見ていきましょう。

1.中生代ちゅうせいだいジュラ紀~新生代古第三紀しんせいだいこだいさんき(およそ2億年~五千万年前)

 琉球列島を作る島じまの歴史は、中生代の海からはじまります。当時の日本列島や琉球列島は今より大陸側にありました。中生代の終わりから新生代の初めにかけては、今の中部日本、紀伊半島(きいはんとう)、四国、九州の太平洋側(たいへいようがわ)から琉球にかけて分布する「四万十層群(しまんとそうぐん)」という砂や泥の地層を堆積(たいせき)した深い海でした。海溝(かいこう)では、そのような大陸から流れてくる砂や泥と、プレートの運動によって南から運ばれてくるチャートや石灰岩(せっかいがん)、緑色岩(りょくしょくがん)などが大陸にひっついていきます。このようにしてできた大陸の端(はし)の構造を付加体(ふかたい)といいます。

 その後、大陸にくっついた(付加した)地層は隆起(りゅうき)し、琉球列島は全体として大陸の一部となったのです。

名護市天仁屋なごしてにや嘉陽層かようそう

コラム

 地層とは、泥や砂、礫(れき)(石)、火山灰(かざんばい)、生物遺骸(せいぶついがい)などが水や風の力により運ばれて堆積(たいせき)したものです。琉球列島にもさまざまな地層が存在します。
 南方からプレート運動によって、古生代後半の地層が運ばれる途中、海底に堆積していた中生代のチャートなどをとりこみながら、アジア大陸の淵(ふち)にあった当時の海溝(かいこう)に近づき、そこで大陸からもたらされた砂岩や泥岩などの地層と混ざり合いながら大陸にくっついてできたのが、琉球列島の中生代の地層である「伊江層(いえそう)」「諸見層(もろみそう)」「伊平屋層(いへやそう)」「今帰仁層(なきじん)」「本部層(もとぶそう)」「与那嶺層(よなみねそう)」「名護層(なごそう)」「冨崎層(ふさきそう)」です。
 中生代のジュラ紀中期にできたのが、石垣島に分布する富崎層、引き続き白亜紀(はくあき)中期には伊平屋層、諸見層、伊江層。白亜紀後期には本部層、与那嶺層、名護層が次々と付加していきました。このように大陸周辺へプレートが運んできた地層の付加は新生代になっても続き、その最も新しいものが「嘉陽層(かようそう)」です。このようにして琉球列島の土台ができていきました。

2.新生代古第三紀しんせいだいこだいさんき(およそ五千万年前) 貨幣石かへいせきの海

 新生代古第三紀の地層は沖縄島北部(嘉陽層)と石垣島や西表島等の一部(宮良川層群(みやらがわそうぐん))に見られます。嘉陽層は、沖縄島北部東海岸の名護市嘉陽(なごしかよう)を中心に分布する砂岩(さがん)と泥岩(でいがん)がくりかえす地層で、褶曲(しゅうきょく)や断層(だんそう)がとても多く激しく変形し、その一部には、深海(しんかい)に生きた生物が泥の上をはったあとの化石(生痕化石(せいこんかせき))が見られます。また嘉陽層の一部のレキ質の部分には、貨幣石(かへいせき)の化石が発見されています。貨幣石とは新生代古第三紀の浅い海に生息した大型の有孔虫(ゆうこうちゅう)の仲間です。これらの特徴から嘉陽層は貨幣石の生きる浅い海から深い海へと砂や泥が繰り返しもたらされた堆積物(たいせきぶつ)(タービダイト=混濁流堆積物(こんだくりゅうたいせきぶつ)と考えられます。
 一方、南の石垣島や西表島の石灰岩(せっかいがん)(宮良層(みやらそう))からも貨幣石が見つかります。この貨幣石は、石灰岩の中から見つかることから、サンゴ礁に生きた貨幣石が化石になったものと考えられます。石垣島と同じようなこの時代の石灰岩は、沖縄島にはありません。新生代古第三紀の時代は、琉球列島を形作った環境は、北では深い海、南はサンゴ礁と全く異なっていたと考えられます。

 貨幣石は沖縄だけでなく、新生代古第三紀の世界中の地層から見つかっていることから、この時代を示す化石(示準化石(しじゅんかせき))として有名です。ピラミッドを作る石からも見つかっています。

3.新生代新第三紀中新世しんせいだいしんだいさんきちゅうしんせい

 時代をへて、日本列島から琉球列島にかけての海は浅くなり、やがて陸になります。そこに新しい山脈が生まれ、琉球列島の基盤(きばん)となりました。この時代の土砂(どしゃ)からできる地層は現在の八重山を除く琉球列島には見あたらないことから、海ではなく陸だったということがいえるのです。この陸地が2000万年前から500万年前まで続きます。

 中新世初期(ちゅうしんせいしょき)には南琉球が時計まわりに回転をはじめ、これまで大陸のふちであった琉球列島の先島地方(さきしまちほう)(石垣・宮古方面)で海が侵入(しんにゅう)し、主に砂岩からなる八重山層(やえやまそう)と呼ばれる地層が生まれました。

 中新世中期(ちゅうしんせいちゅうき)になると、八重山層の浅い海が隆起して南琉球も陸地となり、イシカワガエルなどが中琉球(ちゅうりゅうきゅう)まで分布を広げました。この時期にはじめて南方から象やケナガネズミ・トゲネズミそして西方からアマミノクロウサギなどの動物も移動してきました。

4.新生代新第三紀鮮新世しんせいだいしんだいさんきせいしんせい 島尻海しまじりうみ

 500万年前~170万年前(鮮新世)に入ると、これまであった陸地は一部を残して陥没(かんぼつ)し、大陸と琉球列島の間に新しく「島尻海」が生まれます。そして琉球列島の三つのグループ(北琉球:種子・屋久島諸島、中琉球:奄美・沖縄諸島、南琉球:宮古・八重山諸島)をひとつにまとめたような島ができました。

 ハブなど多くの動物たちが大陸から移動し、分布を広げていきます。島尻海は東シナ海全域に広がりました。そのため、中琉球は大陸と完全にはなれ、北琉球とも分離(ぶんり)し、それまでの時代に渡って来た動物たちは独自の進化を始めます。

 ところが、鮮新世の終わりごろに「島尻海」は急激に浅くなり。さらに隆起して陸域が広くなります。

今の沖縄にはないスギ林

琉球列島にスギやヒノキが自生じせいしていた?!

 スギやヒノキは現在の沖縄にはありませんが、沖縄島南部の鮮新世末の火山灰層(かざんばいそう)(200万年前)の中からスギ属の木の幹、北部の礫層(れきそう)(100万年前)の中からスギ属(ぞく)の花粉が大量に見つかっています。九州のような気温でないと自生できないスギやヒノキですが、同時に出てくる花粉には熱帯植物(ねったいしょくぶつ)のものも見られます。ですから、スギ林がしげるためには1500メートル級の山がなければならないことになります。鮮新世末の地層から出てくる有孔虫や花粉の化石から見ても当時の沖縄は現在よりも熱帯であったことがいえるため、スギ林は標高(ひょうこう)2000メートル以上の山に存在したと考えられます。山地の渓流(けいりゅう)を好むキクザトサワヘビはこの山脈づたいに中国南部から渡って来たと考えても無理はないでしょう。アユもこの時代に九州から南下しました。

5.新生代第四紀更新世初期しんせいだいだいよんきこうしんせいしょき(150万年前~100万年前) サンゴ礁の海

 150万年前~100万年前(更新世初期)には沖縄トラフの前兆となる湖水群(こすいぐん)が出現し、やがてトカラ海峡(かいきょう)とつながり、外海(そとうみ)へつながります。湖水群は陥没(かんぼつ)を続け、現在の沖縄トラフとなりました。トラフとは舟状海盆(しゅうじょうかいぼん)といい舟の底のような形をした盆地(ぼんち)のことをいいます。沖縄トラフはおよそ200万年前から現在にかけて、大陸地殻(たいりくちかく)が分裂(ぶんれつ)し大きなさけ目が形成されつつあるところにあります。沖縄トラフの形成により大陸からの土砂は島々の近くまで流れてこなくなります。泥は島尻層群という厚い泥を中心にした地層となり陸上へ隆起(りゅうき)、ふたたび海面下に沈んだ後、サンゴ礁の海へと変わっていきます。

 この時代、奄美大島や本島北部のヤンバル地域、石垣・西表島の中央部などは、このサンゴ礁の中の島でした。このときのサンゴ礁が、隆起し琉球石灰岩となります。琉球石灰岩の一部が陸上へ隆起しましたが、大部分は海の底へ沈んだことになります。

6.新生代第四紀更新世末期しんせいだいだいよんきこうしんせいまっき(40万年前~1万年前)

 氷期(ひょうき)の時代には島々の間の海が開いたり閉じたりしました。また、南琉球は大陸と陸続きになり、イリオモテヤマネコが渡来(とらい)しましたが、中琉球はずっと島のままでした。そのうちに南琉球も大陸と離れ、琉球列島が完全に島の時代を迎えることになります。沖縄で見つかった港川人は2万年前に島づたいに渡ってきたと考えられています。

 最後の氷期(2万年前)が終わると、海面が上昇し、陸地がせまくなります。そして9500年前には現在のサンゴ礁が形成され、いまの琉球列島の原形ができあがりました。その後の海面の変化や大地の変動に伴って、ノッチやビーチロックといった独特な地形が作られました。

 琉球列島は、このように長い時間をかけて変化を繰り返しながら今の形となったのです。

温暖おんだん琉球列島りゅうきゅうれっとう

氷期ひょうきでも寒くなかった琉球列島りゅうきゅうれっとう

 30~40万年前、15~20万年前、1~7万年前に氷期とよばれる、世界的に気温の低い時期がありました。琉球列島に広がったサンゴ礁の海は、低緯度であることと、島の周りを黒潮(くろしお)が流れていることから、熱帯(ねったい)・亜熱帯(あねったい)の気候となっており、氷期の時代でもそれほどの気温低下はなかったようです。

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