琉球石灰岩は沖縄の島じまに人びとが住みはじめた約3万年前よりはるか昔、いまから165万年~12万年前に、サンゴ礁やその周辺の海の堆積物が隆起して地上に現れたものです。琉球石灰岩を詳しく調べることで、いまから約165万年前以降の海の分布や、堆積した環境、島じまの生い立ち等を知ることができます。
沖縄県の島の全面積の約1/3はこの琉球石灰岩で占められています。1/3というと少ないようですが、分布する面積は様々ですが、県内のたくさんの島で見られます。また宮古島のように、島全体のほとんどが琉球石灰岩でおおわれている島もあります。つまり、琉球石灰岩は沖縄を代表する岩石なのです。日本地質学会は沖縄県の石として認定しています。
沖縄の海はプランクトンなどの不純物が少なく、透明度が高いのが特徴です。エメラルドグリーンに見えるのは、海岸とリーフ(サンゴ礁の端)の間の礁池(沖縄の方言でイノー)と呼ばれる部分です。イノーを形成するサンゴ礁に生きるサンゴは、光合成を行い、海水中の二酸化炭素を吸い、酸素を排出します。そのため太陽光線の届く浅い海に存在します。
太陽光が海面にあたると、水に入った光分子は赤系の色から順番に吸収され、青色の光が残るため、本来透明である水が海では青く見えるようになります。海が浅ければ黄色や緑系の色はまだ残っている状態となります。有孔虫などからなる白い砂地のところは、水分子による散乱光である青色だけが見えるので、深さによって空色から青色までの変化が見られます。イノーに海藻群落があれば、その部分は濃い緑色をつくり、岩礁に生育するアオサやヒトエグサなどはあざやかな黄緑色を示します。
1967年、旧具志頭村(現八重瀬町)港川にある石灰岩の割れ目から人骨化石が発見されました。一緒に出土した木炭から年代が測定され、約1万8250年前のものということがわかり、「港川人」と名付けられました。日本で最も重要な更新世人類化石となっています。
更新世という時代は何回かにわたって寒冷期(氷期)と温暖期(間氷期)が繰り返された時代で、別名「氷河時代」ともいわれます。そのうち、最後の氷期のピークは約2万年前ですから、発見された港川人は、最終氷期前後の人ということになります。当時の海岸線は現在よりもマイナス120mも低く、沖縄島周辺にある島じまはもちろん、慶良間諸島や渡名喜島、久米島まで陸続きだった可能性があり、現在よりもかなり大きな島だったことが考えられます。琉球列島では、港川人の他にも多数の人類化石が発見されています。またそれらと一緒に今では絶滅してしまったリュウキュウジカ等の絶滅したシカ化石等の陸上動物の化石も産出します。港川人はイノシシやシカ狩りをしながら島を移動していたのかもしれません。
琉球石灰岩の中は常に地下水が流れ、それがいくつも集まって次第に大きくなり、「地下の川」となります。そのような地下の川が流れるところに「鍾乳洞」ができます。沖縄県全体で数100とも1000ともいわれ、確かな数はわかっていません。そのうち、南城市にある「玉泉洞」は総延長が5000m以上もあり、国内で2番目に長いことで有名です。
鍾乳石は洞窟の天井からしたたり落ちる水が蒸発するときに、わずかに含まれる石灰分が固まってできるものです。通常、1mm成長するのに10年ほどかかりますが、琉球石灰岩の地下にできる鍾乳石はそれより早く3年で約1mm成長するといわれています。
首里城内の龍樋、日本百名泉に選ばれた玉城の垣花ヒージャー、金武の大川、宮古島のムイガーなど、沖縄には湧水のでる箇所がいくつもあります。湧水は沖縄の方言で「ヒージャー」とよばれ、昔から人びとが飲料水として利用してきました。多くの湧水に共通するのは、琉球石灰岩の分布する地域にあることです。
琉球石灰岩にはたくさんの穴があり、水をよく通す性質をもっています。そのため、雨水は地表にしみこみ、川になることなく地下水となります。雨水は琉球石灰岩の下にある水を通さない粘土質の層との境目までくるとそこから先はしみこむことができなくなるため、地下水は境目に沿って横の方へ流れていき、その先が地表にでてくるところが湧水となるわけです。
沖縄島南部等でよく見られる灰色の泥岩を「クチャ」といいます。昔から髪洗い粉や衣服の洗濯に使われ、今では泥パックなどの美容にも大活躍です。これらはマイナスイオンを持つクチャの微粒子がプラス電荷の汚れを吸着する性質があることを利用しています。
クチャは、「島尻層」の泥岩で、北は奄美大島近くの喜界島から南は波照間島までたいへん広い範囲に分布しています。これらは今から約1090万年前~200万年前にかけて堆積した地層だということがわかっています。地層の特徴から3つの層に区分されており、古いものから順に「豊見城層」「与那原層」「新里層」と呼ばれています。地表にもっとも広く分布しているのは「与那原層」です。
九州には、阿蘇山や桜島など活火山が数多くあり、日本でも有数の火山地帯となっています。北から火山を見ていくと、阿蘇山、霧島、桜島、トカラ列島と続き、硫黄鳥島を経て、西表島の海底火山まで続きます。
沖縄には火山はないと思っている方も多いのではないでしょうか。県内にも活火山の見られる島が存在します。徳之島の西約65kmの場所にある沖縄県最北端の島、「硫黄鳥島」です。1903年の大噴火で多くの住民が久米島へ移住しました。その後、次第に住民が帰島し、太平洋戦争後は小中学校もできましたが、1959年に再び大噴火の恐れがあるということで全住民が島を出て、現在は無人島となっています。住民の多くが久米島へ移住したこともあり、鹿児島県徳之島近くにありながら、行政的には沖縄県島尻郡久米島町となっています。
硫黄鳥島からは硫黄が採れるため、薩摩に占領された琉球王国時代にも、王府の直轄地として硫黄が採掘され、中国貿易に利用されていました。
1983年、新聞に恐竜の足跡化石発見という記事が掲載され、沖縄にも恐竜がいたのかと話題になりました。しかし足跡と思われた化石がついていたのは、石英斑岩と呼ばれるマグマが冷え固まってできた岩石でした。マグマの上を恐竜が歩くことはありませんので、残念ながら恐竜の足跡化石ではなかったのです。
恐竜がいたのは中生代、いまからおよそ6550万年前です。沖縄島から石垣島まで、地層のなりたちをみていると、恐竜がいた当時の層はすべてが深い海に堆積したものであることがわかっています。ただ、伊是名島に分布する地層にある植物化石の花粉分析によると浅海ないし沼地の環境が推定されているところもあります。もしそれが本当なら、恐竜の化石が出土する可能性も0ではないかもしれません。
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